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リトルダンサーの夢
ある日、何時ものように、スタジオでレッスンをしていると、少女がドアを開けた、
「見学してもいいですか?」、当時(30年前位)まだ風営法があって、少女が
来る事などめずらしかった「どうぞご自由に」そのままにして、レッスンを、続けた。

暫くして、少女が「ダンスを習いたいのですけど」 「家の人の、やっても良い、と
承諾があれば何時でも良いですヨ」 次の日、少女は姉を連れてきた。
話を聞いてみると、少女は、中学3年生でお姉さんは高校生だった。

親の承諾と言う訳では無いが、私が受け持つ事にして入会させた。少女らしく
少し踊れるようになれば気が済むだろうと思っていたのだが、一通り覚えても
続けて来ていた。中学を卒業して高校へ入学した夏に、スタジオのパーテイで
ルンバのデモをピンクのラテン・ドレスを着て踊った。

今と違い当時、少女のダンスのデモは珍しくまた可愛らしい子だったので
拍手の多さは際立っていた。それからもずーと続けて通って来ていた。、
彼女に聞いてみた、「何か目的があるの?」 彼女の答えは 「特別に目的が、
ある訳では有りませんけれど、今高校で創作ダンス部に入っています。」

「創作ダンスって?」色々聞いてみて、解かったような解からないような話だったが、
女子大とか高校で、振り付け自由なダンスの団体競技の大会が有るらしかった。

「ダンスにも色々なダンスがあるのですが、将来ダンサーに、なろうと思います」
「別に今は、社交ダンスのプロに、成りたい訳ではなく、色々なダンスをやってみて、
自分に会った、ダンスの道に進みたいと思っています。」

レッスンをしていて特別に才能が有るとは思わないが、中学生の時に自分で
自分の道を選択して歩いている訳だから、たいした者だとおもった、
レッスン料を子供にしといてあげて良かった。(本当は子供料金は無いのだから)

私は知らなかったが彼女の将来の夢に、少しは協力してた訳だ。彼女は高校3年になって、
スタジオに来なくなった。それから年月がたち、何時しかそんな事も忘れころ彼女から
電話が来た「先生覚えていますか、・・ ・・子です、今度教室を出しました一度来てください」

後日、電話のあった場所へ尋ねた。“・・ ・・子ジャズダンス教室の看板があった。
ドアを開けると彼女と、あの時のお姉さんがいた。当時流行り始めていたエアロビックス、
ダンスの様に声をだして彼女がレッスンをしていた。話を聞くとあの後、高校を卒業してから
アメリカまで、ダンスの勉強に行って、ジャズダンスを選んだらしい。

それ程、日本ではマダ流行っていないけれど彼女は 「これで生きて行きます」と、言っていた。
彼女は二十三歳になっていたが、中学生の時の夢を追い続けて実現させた。
リトルダンサー は 成長して ジャズダンサー に変身した