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上半身脱ぎだして踊ってみると、上半身に対する意識が大きく変わるようになったのが前回。ワルツのレコードに針を落とし(練習はCDですが、雰囲気つくりのためそんな感じの意識で)踊りだすタイミングにあわせて上半身の筋肉をぎゅっと内側に絞っていく。みぞおちは上に引き上げ、肩甲骨と背中の筋肉をぎりぎりと引き絞っていく。パートナーの幻影に合わせるように広げ、ホールド。

最初の一歩を踏み出すその瞬間まで、解き放たれるのを待つ弓矢の様に力を一滴もこぼしまいと精神を集中する。

この瞬間までは鏡に映る自分の立ち姿もそれなりに絵になっているのだけれど、いざ踊りだすと背中の、みぞおちを支え続けることが出来ずすぐに体が緩んでしまう。そうするととたんに三十半ばの弛緩したからだが鏡に映るのだ。だれだ?これはと現実逃避したくなるけれどこれがリアル。うーむ、現実は厳しい。このおなか、何とかならんものか。

そんな感じでここしばらくは新たなステップにも入らず、ひたすらワルツの基本的なステップをいかに姿勢をキープしたまま、きちんと踊るか。で、それをさっちゃんとのペア連に還元する。そんな自主錬の日々が続いています。僕はこういう地味な行為をひたすら体にしみこませるように無心に繰り返すのが結構好きなのです。

が、どうやら親父はもっといろいろ叩き込みたいらしく、「いつになったらレッスンするんだ」と痺れを切らしている模様。

まあ、気持ちは分かるんですが自分の体と向き合ってじっくり技術を積み重ねたい時期ってあるじゃないですか?それでもたまに親父は我慢できなくなるのか、夜にホールに電気がついていると頼んでも居ないのにやってきて、ホールの片隅にでん、と陣取ります。そしてじっと僕の不細工なシャドウを睨み続けるわけです。

意識してしまうのも癪なものなので極力意識しないようにしてもくもくと反復練習を繰り返すのですが、地味な反復行為を人に見られるのもあまりいい気持ちのするものではありませんなこりゃ。

それでも、流石十数年をプロ講師として釜の飯を食っていた人間だけあって、僕のシャドウを見ながら、特に言わなくても僕が何を意識し、テーマとして練習に取り組んでいるのか汲み取っているようで。ころあいを見計らって、必要なアドバイスをくれたりもします。

このワンポイントのアドバイスがかなり効果があるようで、同じステップに対する意識がガラリと変わったりするのです。この辺は流石。と思いますが、絶対口にはしません。

鬼瓦としてはもっと競技用のステップをがんがん教え込んで行きたいような感じがしますが、こっちは一度それでパンクしたりしています(笑

もうしばらくはじっくりと基礎に向き合う期間をあたえてくれい、という無言のやり取りが繰り返されているような無いような。