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秋は色々と物憂く、センチメンタルな季節でございましてちょっとした事にも心の琴線が動かされ、ついつい考え深くなってしまうものでございます。先日も笑点を観ながら林家きく扇氏のいかにも老衰、といったネタを見つつ、うちの母親の言動も若干同じ香りがしてきた事を思い、ふと切ない胸に風が吹いたりしたものです。

こういう時期は人恋しくなるのでしょうか、山羊たちにも恋と発情、サカリのシーズンが訪れるわけであります。本日めでたく我が家のアイドル、子山羊の木綿ちゃん(♀。生後半年位)に二度目のサカリが訪れていました。

山羊は早熟な動物で、生後四ヶ月もすると子供を生むことができるようなのです。ということは、うちの木綿ちゃんは人間に換算すると女子高生位?どうりで最近、やたらと夜になると出歩きたがったり、気がつくと柵がわりのネットの隙間をどういうわけが見つけ出しては、気がつくと柵の外にいたりします。あと、冬用のふさふさもふもふの毛が足首にまで到達。その様はまるで一世を風靡したルーズソックスを髣髴させられます。

ちなみにルーズソックスが日本中を席巻していた時期にちょうど高校生だった僕としては子山羊のふさふさもふもふ、きゅっと引き締まった足首を見ると、当時の感情が呼び覚まされてきます。そして秋のセンチメンタルさと相まってまた、胸の奥底にぽっかりと穴が開いたような感覚をおぼえてしまう。そうするとどうなるか。さかり始めた子山羊に負けじと胸の中のもやもやを、どう昇華させたらいいか分からないままに秋の澄み渡る月夜の下であてどない徘徊を始めてしまったりする始末。この心と体の乖離した、惨めな私。

どうやら秋のもやもやは伝播するらしく、新妻一年目のさっちゃん(人間換算すると二十代半ば)も僕に釣られてか夜中に突然クッキーを焼き始めたりします。焼き始めるだけならまだいいのですが・・・・・因みにさっチャンは先日足を捻挫してしまいました。下界は食中毒の流行、様々な物に当たっては苦しむ人々のうわさを聞きながら、彼女は山羊に体当たりされて足首をひねってしまった模様です。

足が痛いので、当然運動量が落ちる。そんな状況で秋のもやもや胃袋にに転化されるとしたら・・・・・僕は今恐ろしい想像をしてしまっています。

さて、サカリのこやぎ。二三日は草もろくに食べずに豚かと思うような野太い声を上げながら落ち着かなく歩き回ります。尻尾をふりふり。こうして♂を探し回っているのかもしれませんが、高齢化と過疎化が深刻な木島平には、年頃の高校生も山羊のオスもほとんど見かけなくなってしまいました。交尾をさせるには、山羊業者に依頼してオスを連れてきてもらわなければなりません。まだまだ彼女は体が小さいので、今回は種付けはいいかな、と考えております。

とゆうか、母親のほうが一向にさかりがこない。お乳がとまり一月もするとサカリはじめるというのですがまだまだその気配がありません。

むしろ母親に新たな種をつけたい我々としては、草を与えるときに愛情と呪詛をこめておなかを撫で撫でします。そして、新物のわらを両手に掲げ、円を書く様にステップを踏みながら「さかれーさかれー」とサカリの歌を歌い交尾の神に願いをささげ続ける毎日です。気がつくと山羊の暮らす草原に、我々がサカリを請う儀式で踏みつけた跡が、円形のわだちを残すようになってしまいました。意外と世界各地に残されているストーンサークルもこうした、五穀豊穣、サカリの神に願いをささげた結果なのかも知れませんね。

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サカリ真っ盛り、興奮しオラつく子山羊と若干それにおびえ気味な母山羊。子山羊は落ち着かない様子でばたばた騒がしい。子山羊のステップを解析すると、3・3・4・2でリズムを刻んでいることが分かります。これが通称「サカリムズ」(どやあ)

 

今日はこのへんで