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 深夜、みなが寝静まった時間に豆乳と甘酒の混合物をホットで頂ながらゆっくりと読書するのが最近のお気に入りです。

いつものようにお気に入りのコップに混ぜ合わせた液体を注ぎ、電子レンジに入れて加熱。数刻を待つ間に今日教わったワルツのステップの復習などをしていた最中、轟音と共に突然あたりは闇に包まれました。

母親はB29の空襲が来たかと焦り、竹やりを手に部屋から飛び出してきます。

轟音と暗闇の原因は恐らく電子レンジのショート、もしくは漏電でした。突然のアクシデントに私の愛飲料は、憐れにも電子レンジの中でぷすぷすと音を立てながら沸き立ち、異臭を放っています。

思えばこの電子レンジもかれこれ20年は使っている年季物。馬の20年は人間の百歳に相当する、という話を耳にしたことがありますので、恐らくこの電子レンジも100歳近く、とうとう天に召される時が来たのでしょう。

そういえば最近夜中に誰もいないときに突然電子レンジが音を立てて回り出したり、朝、牛乳を温めようと扉を開けてみると、なぜか白いお皿が数枚重なって放置されていたことがありました。だいぶ調子が悪くなっていたようです。

そんな風にして年季が入りあちこちガタの来たレンジを見ながら、ふと父親の姿を重ね合わせてしまったのは不謹慎なことでしょうか。

5~6前に発病した割と深刻な狭心症。幸い大事には至らなかった物の、それ以後強めの降圧剤を初め各種の薬を手放せなくなってしまった父親。

本人はもう割りと人生やりきった感もあるのか、長生きに興味が無いのか悲壮感無く毎日を生きているので回りもついつい忘れてしまいがちなのですが、医者に言わせるといつ死んでもおかしくない状態なのだそうです。家業を継ぐことになり、両親と今更ながらに深くかかわるようになったこの数年で最後に父親からダンスを習っておきたい、というのも私がダンスを始めた理由の内の少なからぬ一つでもあるのです。

 

もちろん、合宿に来るJD(女子大生)と一緒に踊ってみたい、とか四十過ぎて周りの同世代の連中がメタボリック街道を突き進む中、私一人だけスリムな体系を維持したい、あわよくばその数馬身差はあろうかというアドバンテージを利用して不毛だった青春時代を取り戻したい、等の下心も無くはないのですが。

ちなみに中学校半ばまでは村一番の肥満児だったこともあります。余談ですが結婚式に使う写真を物色するために昔のアルバムを引っ張り出していたのですが、そこに写る昔の自分の姿に衝撃を受けてしまいました。それは某国の第一書記にそっくりだったのです。あのまま生育されていたら、影武者候補として密かに拉致されていたかもしれません。やせることが出来て本当に感謝しました。

 

さて、という訳で夕食後のしばしの時間、短いですがダンスの手ほどきを父親から受ける事が新たな習慣として加わりました。実は密かに自分にはダンスのセンスがあるのではと感じていたのです。物心つく前から家の中に大量のダンサー達が踊り狂うのを横目に生活していたのです。視覚からくる情報も自分の深い所に影響を与えていてもおかしくはありません。

ところが実際に手ほどきを受けてみるとこれは僕の想像をはるかに超える厄介な代物だったのです。なぜかラテンから入らされたのですが、まずは簡単なステップを覚えて、音楽に合わせて楽しく踊りながら徐々に細かい体の使い方を覚えていくのかな、となんとなく想像していました。

が、初日の一時間は、たち方、軸足への体重の掛け方、そしてそこからの体重移動だけで終わってしまったのです。そして次の日もあくる日も、一歩足を踏み出しては背中をそらせ腰をスライドさせ軸足に乗る。これまでの生活ではありえなかった背中のカーブと腰のくびれを強要され、それまで意識していなかった筋肉は悲鳴を上げ始めます。

そして父親からは容赦ない罵声が飛び交うのです。元プロ講師として多くの人たちに入門から手ほどきをしてほめ、おだて楽しませ講座に通ってもらうのが仕事のはず。それがここまで苛烈に、容赦ない迫撃砲のような指導をするのは、血のつながった息子だからでしょうか。もうここまできたら踊れるようになってぎゃふんと言わせてやらなければ気がすみません。

普段温厚な私もレッスン時にかちんときてしまう瞬間もあったのです。

が、突然暴発してしまう20年来の電子レンジのように父親もいつ動けなくなってしまうのか分からないのです。だからこうして父親に対して真剣に腹を立てる機会、というのもそう悪い物ではないのかもしれないな、とふと考えることもあるのです。

思えば私の兄弟はおよそ反抗期という物が無かったのです。遅れてやってきた35年目の反抗期、とでも名づけてみましょうか。