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さっちゃんがブログを書き始めてくれて、ついつい更新をサボりがちに成ってしまい気がついたら二ヶ月近くが立ってしまいましたので、久方ぶりの更新です。たまに音信普通に成ると、近しい友人やら、血縁を持った兄やらなにやらから「死んだのか?」などと心配しているとも思えない催促のメールがやってきます。

長野県木島平にある日本屈指(と自称している)ダンスの宿「ちきちきばんばん」

その二代目を継いだ責任ある者として、やらなければならぬ事が割りと沢山あるのです。忙しいのです。僕は。どうやら友人達からは一年のうちの三分の一しか働いてない、くらげのような人間と思われている節がある。そんな彼らに声を大にして言いたい

「君たち働きすぎだ。人間、自分と家族を食べさせるだけの労働、すなわち晴れた日の野良仕事に精を出すのが分相応という物なのだ」

近代の経済、金融の観念は、結局のところ資本家が呈よく労働力を集め、彼らから収益を搾取するために作り出された物であって、これらの経済競争の中でがんばっている限り、もっとも価値ある自分という物を切り売りしているに過ぎないのだ、と。

と、こんな事を言っているといよいよ働いていない人間に思われてしまう。ちょっと本音が先っちょから漏れてしまっただけなのだ。

現在、春の合宿シーズンの真っ只中。春と夏の合計三ヶ月ほどで年間の収益のほとんどをたたき出さなければ成らない家業の宿業、この時期は目に見えて死ぬほど忙しい。じゃあ、それ以外の時期は暇なのか?

そんな事はないのだ。次の営業シーズンに向けてやる事が山ほどある。直接収益に結びつかない、仕事と生活の線引きのあいまいな日々が続くようになる。

そんな中で、うちにくる学生ともっとコミュニケートを取れるようにとはじめたダンスなのだけれど、これがまた大きな刺激を受ける事になる。

夜、ちょくちょく学生達の踊りを見学させて貰うようになった。多少、踊りをかじり始めただけの自分なのだけれど、競技選手として数年間、ダンスに費やしてきた上級生達の踊りを見ていると、いつの間にか引き込まれてしまっている自分がいるのだ。

ラテンに関してはあまりに動きがくねくねセクシー過ぎて何をやっているのか皆目見当がつかない。生来のテレやさんの僕としてはあのように自己表現を前面に打ち出す踊りはいささか抵抗感があるので、憧れだけにとどめている現状。

スタンダードをカップルで踊っている上級生達をみて、衝撃を受けたのだ。今までずっとダンスの環境にすみ続けながら、思ってみたら彼らのダンスをまともに見たことがなかった。

社交ダンスと競技ダンスの違いも良くわからず、せいぜい姿勢を崩さないようにトラディショナルに(?)踊っていれば、後はなんとなく舞踏会の雰囲気の中できゃっきゃうふふ出来るような印象でしかなかった。もう自分のバカ馬鹿。彼らに七を七十倍するくらい謝りたい。

岩のようにびくともしないホールドから繰り出される優美でスケールの大きいムーブメント、軸のぶれないスピンにターン。果たして、後数ヵ月後の夏に彼らに混じって練習する事が出来るのだろうか、とちょっと不安になってくる。

そして、その横では親父が合宿中はお休みしている練習再開に向けて、舌なめずりしながら次はどんなステップを教え込もうかと教材ビデオを舐めるように見まくってはニヤニヤしている。

正直恐ろしい・・・・が、心のどこかでは自分も彼らのように優美なダンスを踊ってみたいという衝動と、彼らに対する嫉妬の念みたいなのが芽生えてきたのだ。これは山に戻ってきてから久しい感情。喜ばしい事なのか、もどかしい事なのか自分でも良くわからないが、とにかくそんな毎日を過ごしているのであります。