くそ、電気ショッカーがきかねえ!
突然ですみません、ここ数年お正月のマグロ特番を欠かさず見るようになり、その都度自分も年をとったなあと実感するダンスの宿、ちきばんオーナーでございます。
何が面白いのか自分でもまったく良く分からないのですがあのマグロ番組をみないと一年が始まった気がしない。
例の壮年マグロ漁師の壮絶であり悲壮感ただよう姿を見ながらその姿に生きる勇気を貰うのでしょうか、とにかく毎年のように電気ショッカーが効かないマグロが登場し、マグロは船の下にもぐりこみ
船のへりで糸を切ろうともがくわけです。
電気ショッカーが効かない場合、船に装備されている糸巻き器と己の腕力のみでマグロを吊り上げなければならないのです。
格闘が長引くほどに体力と精神力を削られ件の漁師の纏う悲壮感をさらに色濃くしていく訳であります。
もちろん見ているこちら側としても、乾坤一擲、生活と漁師としてのプライドのかかったマグロとの格闘の行方に手に汗握らずには要られません。
マグロが無事に吊り上げられるかどうかはまったく予想がつかない。ありていのドラマならたいていの筋書きやお約束があるのでまあ、そこまではらはらすることはないのですがこのマグロとの対決は全く予想がつきません。
相手は人類の小ささをはなであしらうような大自然の申し子、マグロ。それも最強の大間の黒本マグロ。対するはどこか頼りない、最近猫をかい始めたベテラン漁師。しかも頼みの綱の電気ショッカーはかなりの確立で故障するときたもんだ。ちなみにこの飼い猫めっちゃかわいい。若干まぐろ漁師に嫉妬したりします。
無事に吊り上げよう物ならば、漁師とともに喜びをかみしめ、時には涙すらこみ上げる事もあります。もしも運悪くマグロに逃げられよう物ならば落胆し、呆然とし、テレビにかじりついていた十数分を思いなんともやるせなくなってくるのです。
とそんなマグロ番組に嵌り始めると、私たちの中にもある心境の変化が芽生えます。
「マグロに対して半端な気持ちで向き合ってはならない」
マグロと名のついた中途半端な赤い半透明のたんぱく質の塊だろうとも、どうせこんな長野の山奥の格安スキー宿で出てくる魚なんぞに文句をつける客はあるまいて。
海なし県のさらに山の麓、刺身が出るだけでも奇跡。伊達に我々は成人するまでカニカマは本物のカニ肉だと刷り込まれてきた民族ではないのだ!
海なし県民の三代先まで祟られるような精神的呪縛に縛られている我々、いままで魚を扱いながらも常に心の中にはこういった卑屈な考えが根深く残っていたのです。
まぐろ番組と向き合いながら、そんな穢れたマインドに強烈なびんたを食らったような気がしました。なんだか面倒くさくなってきたので結論から言いいます。
ちきばんではもう、本まぐろしかださない宣言。もちろん大間のまぐろとか高級品は出せませんが、それでも本まぐろ。
このお正月も基本的にまぐろに頼りきりのお正月。そもそもご馳走といったらステーキと本まぐろしか思い浮かばない貧困味覚者ゆえ、ご容赦願いたい。
文句のある方はそんな風に育てたわが両親にどうぞお願いいたします。それでも小学校卒業までに村一番の肥満体に私を育て上げた名ブリーダーでもある私の自慢の両親であります。
もちろんこのまぐろ愛はこれからも続きます。山奥に迷い込み、どうしよもなくまぐろを食べたくなった際にはぜひちきちきばんばんへどうぞ。もちろんダンス合宿も承ります。